原子力利用の正当化論

原子力と「和魂洋才」論、「東洋道徳西洋芸術」論

伏見康治における自主原則に関する「和魂洋才」論的理解
伏見康治(1965)は,原子力の「平和」的利用のための三原則「自主・民主・公開」の内の自主の原則とは「日本国民の自主的主体的立場」を指すものであり,「(原子兵器開発から出発したという意味で欧米の)原子力の先生はみんな悪い先生だから……技術的知識は教えてもらうが,精神は教えてもらわないという和魂洋才主義」のことである,としている
伏見康治(1965)「あれからもう十年① ― 3原則決定のころ」『原子力産業新聞』第327号,1965年7月15日[伏見康治著作集7『原子力と平和』みすず書房,pp.21-24再録]

原子力による産業革命論

原子力による第3次産業革命論

石炭・蒸汽総関を原動力とする第一次産業革命、電気技術を中心とする第二次産業革命に次ぐ第三次産業革命をもたらすものとしての、原子力
「石炭・蒸汽総関を原動力とする第一次産業革命は、大衆を市場対象とする通をうみだした。すなわちその始りは木綿繊維による機械紡績である。・・・電気技術を中心とする第二次産業革命はイギリズではなくアメリ力で急速に進行し、アメリカはイギリスを追いこして強国に成長した。さらに現代では原子力を中心とする第三次産業革命の旋風が世界をつつんでいる。このなかで若いソヴエトが、アメリカを班いこしながら成長している。」林克也(1954)『幸禰をつくる科学』蒼樹社、p.291

原子力利用の「ダイナマイト」論的正当化論

日本人の多くは、原爆との関連で原子力に対して「異常の恐怖心と異常の警戒心」を持つが、原子力はダイナマイトと同じような性格のものであり、「誤った使い方をすれば、恐ろしいわざわいを引きおこす」が、「正しい使い方をすれば、人類の幸福に寄与することが、図り知れないものがある」。

「原子力といえば、誰でもすぐに原子爆弾のことを思い出します。全くその通りなのでありまして、この偉大なる発見の利用が、残酷無比な武器の製造によって始められたということは、まことに悲しむべきことであるといわなければなりません。しかも、不思議なことに、この原子力の暗黒面を、世界中でいちばん早く、いちばんひどく、そして、いちばんたびたび見せつけられ、体験させられたのは、われわれ日本人なのです。われわれ日本人が、原子力に対して、異常の恐怖心と異常の警戒心とを持っているのは、もっともだと申さなければなりません。
 けれども、けれどもです。山は高いほど、その山かげが大きいように、陽のあたる面も大きいということを見逃してはならないと思うのです。ノーベルがダイナマイトを発明しました時には、これば人類に大きなわざわいを及ぼすものになるのではなかろうかと、ノーベル自身も心配したほどでありました。けれども、このダイナマイトのお蔭で、トンネルも掘れるし、水力電気もおこせるし、石炭も楽に掘り出せるようになりました。原子力の偉力は、ダイナマイトどころではありません。ですから、誤った使い方をすれば、恐ろしいわざわいを引きおこすことは、明らかでありますとともに、正しい使い方をすれば、人類の幸福に寄与することが、図り知れないものがあると思うのであります。どうぞ人類の叡智が、この偉大な原子力の正しい使い方を促進し、誤った使い方をあくまで抑制することができますように、読者とともに祈り、そして努めたいと思います。」千谷利三(1955)『世界原子炉めぐり』技報堂,pp.213-214